小学生の海外体験記 with コロナ

8才の少年がコロナ禍の中、日米アイスランドの学校に通った体験と暮らしを紹介します。

#アイスランドで火山噴火 僕が出会った災害たち

今日は過去の話ではなく、今のことを書いてみる。

もともと、このブログを始めたのはコロナで世界が変わったこと、外国での世界を忘れないようにするためだ。だから、忘れないようにタイムリーに今の気持ちを書く。

 

2021年3月19日、アイスランドのレイキャビク近郊の火山が800年ぶりに噴火した。

僕の家もレイキャビクにあるから、かなり近い。その前から地震の予兆があって昼夜関係なく12000回もの地震があった。最初は火山噴火!っていう言葉のサウンズがおどろおどろしくて怖かったけど、いざ噴火してみたら、It's amazing!!

学校で映像を見ると、とても美しくて、幻想的だった。

幸運なことに、今回の天災はまだ誰の命も土地も奪っていない。

アイスランドの人が、この瞬間を待っていた!!っていうくらいの荘厳な景色は地球からのプレゼントだ。

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アイスランドの噴火した火山。ハワイなどと同じマグマのタイプ

でも、今回は幸運だっただけだと思っている。

僕がこの2年間で経験した天災。

 

カリファルニアの熱波。大規模な山火事 停電 空気悪化

コロナウィルス大流行 ロックダウン 学校閉鎖が半年間

日本帰省中 西日本の大洪水

アイスランドの火山噴火 

 

この2年だけでもこれだけの災害に遭遇した。

ママはよく、「地球上に安息の地はない。どこにいても危険なことは必ずある」と言っている。

だからこそ、今自分が手が届く範囲の安息を自分自身の手で掴みたいと僕は願う。

一日一日を大事に。あったかいご飯と布団に感謝して、ゲームにもめちゃめちゃ感謝して。明日も笑顔で過ごせますように。

 

 

 

 

 

 

 

 

コロナの中、アメリカから日本に入国

2920年3月30日ママと僕と妹は、パパをアメリカに残して日本にしばらく滞在することになった。


飛行機は今まで乗って中で1番空いていて、搭乗率10%。

子供は僕たちだけ。日本人もクルーを除くと僕たちと後数人だけだった。


僕はをしていたけど、そのまま眠っていて気がついたらマスクは取れていた。妹はマスクが苦しくてしなかった。

CAさんは優しくて、何度もポテトチップや飴、ジュース、機内グッズをくれた。


飛行機の中で志村けんさんが亡くなったと言うニュースを見て、ママがすごくショックを受けていた。


アメリカに帰る時にも同じ飛行機に乗ったけど、その時は少しでもマスクがずれていると注意を受けたから、行きの飛行機の方がピリピリする空気が少なく感じた。


いよいよ、日本に入国。ドキドキしながら、飛行機で15分ほど待つ。

アメリカから入国の方はこちらにと案内されて列に並んだ。

左側が書類を受け取る列。大体1時間弱並んだかな。

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書類を受け取りサインしたら、空港の外に出られた。

身分証明書などもいらなかった。



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これにサインが終わり、荷物を受け取ると親戚がレンタカーで迎えにきてくれていた。いよいよ、日本だ。嬉しい!


でも、成田から15時間かけて僕達はまた移動しなくてはいけなかった。



日本に帰国へ

ロックダウンされて、三週間。2020年の3月末、ママと僕と妹で日本に帰ることになった。

急に決まったのは、日本がアメリカからの入国制限を始めて、飛行機が飛ばなくなるって言う話があったから。
 
とりあえず、入国制限で決まったのは外国から来た人は公共交通機関を使わない、二週間待機することを約束するという書類に記入するということだけらしい。
その時はまだ、全員のPCR検査もなく、空港待機もホテルに行くこともなかった。
だけど、ニュースでは、海外旅行帰った人にコロナが陽性だった。日本の検疫が甘すぎるって言うものをやっていた。ルールを破った人はみんなから非難されていた。
 
じいじが病気だし、パパは公務員だから、ルールを破ってコロナを持って帰ったら、ニュースになる、クラスターになる。
 
誰にも迷惑かけない2週間の待機場所の確保。
僕らを成田からおばあちゃんの家がある高知まで運んでくれるレンタカーの手配。
 
この2つの準備が何とか整ったらしい。
 
 
 
出発日、ドキドキしながら空港に向かった。僕は本当にびっくりした。
誰もいない空港。ほとんどない飛行機。世界が終わったみたい。こんなSFOは初めてだ。
 

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初めて、僕はコロナって大変な事なんだって実感した。
飛行機に乗る前にパパと話をした。
 
「元気でな。ママの言うことを聞くんだぞ。お前がママを守れよ」
 
 
いつもの帰国とは違って何か胸がざわざわして、パパもすごく寂しそうだった。
やがて、時間が来て、僕達は誰もいない手荷物検査場に進んだ。
 
#コロナ #ロックダウン #帰国 #空港
#2週間待機

アメリカでロックダウン中の遊び

カリフォルニアで、初めてロックダウン、shelter in place 命令が出た時、大人も子供も初めての体験だった。 

 

だからどうしていいのか分からず数日間は呆然と過ごした。

だけど、そのうち学校や遊びがロックダウンに適用するものになっていった。

 

アート

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春のものを探して家に帰ってアートした。

お散歩しながらビンゴとかもした。

 

Fitbitでレース

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子供用のFitbitを買ってもらってバーチャル対決。ママと妹とこれは何回もやった。

 

その他、UNO、トランプ、人生ゲーム、庭でのサッカー、野球。

今までにないくらい家族で遊んだ。

 

だって、公園にはバリケード🚧

ちょっと立話をしていると警察が来て罰金を取られるなんて話も聞いた。

僕らは、他の人との繋がりを禁止されていたから。

 

そんな僕らが友達と唯一繋がらるための手段は[Zoom]だった!!

オンライン学校で友達や先生と朝おしゃべりをする。

友達とオンラインプレイデートをする。

 

まさか、自由の国アメリカでこんな事になると思ってなかったけど、閉ざされた世界でも僕たちは誰かと繋がっていられる時代に生まれた事はらハッピーだった。

 

 

7歳の少年が見た異国でのコロナ体験記 最初のロックダウン

僕は7歳。3年前にパパの仕事でアメリカに引っ越して以来、カリフォルニア州サンフランシスコ近郊の町に住んでいる。好きなアニメは鬼滅ではなくドラえもん。ちょっと臆病、いや、平和主義な小学2年生。3歳の妹がいる。

 

2020年3月16日は突然やってきた。

中国で未知のウィルスが発生したこと、Covid19という名前がついたこと。カリフォルニアでも少しずつコロナの人が見つかったこと。日本の学校がお休みになったことはニュースで聞いていた。

 

でも、自分の身の回りに影響はないと思っていた。

だけど、「Shelter in place」という命令が出されると生活は一変した。

 

学校がない。

友達と会えない。

お店が閉まっている。

パパが家で仕事をしている。

ママはずっと不安な様子でスーパーにものがないと言っている。

 

数日たって、僕と妹は散歩以外は家の外に出なかった。庭やお散歩で遊べたけど、ケンカも増えた。ケンカをすると怒られるのはいつも僕。妹は公園やショッピングモールの遊び場が大好きだから、「行きたい!行きたい!」と言っている。

 

 

段々と怖いうわさも流れ始めた。アジア人は差別される。銃の店にたくさん人が並んでいる。暴動が起きる。日本には、入国制限がかかって帰れなくなる。コロナにかかると死ぬ。

 

そんな時に、僕の日本のじいじが癌で余命が半年だと診断された。

ますます、家の中の雰囲気がすごく悪くなった。

ママとパパは日本に帰る、帰らないでもめているようだった。

 

「パパが仕事で一緒に行けないなら私が子供連れて帰る。親が生きるか死ぬかの時にも帰れないなんてそんなの絶対に無理」

 

ママは心底がっかりした顔でパパに言っていた。パパはしばらく考え込んでいた。

 

 

僕はママに笑顔になってもらいたかったけど、コロナが怖いから家の中にいたかった。何も知らない妹は日本に帰りたい!とここぞとばかりに要求していた。

 

呑気なやつめ。

 

続く